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合格体験記

化学屋の不動産鑑定士挑戦記

 

堀内 弘志
 
1.はじめに
 私が不動産鑑定士受験を決意したのは、実家の東京都東村山市で鑑定士をしていた父「堀内豊」が亡くなり、49日が過ぎた数日後の平成16年の4月、44歳の春のことでした。
私は大学院で電気化学を専攻した後に電機メーカーに就職し、神戸に赴任して化学の専門家として燃料電池の製品化開発に一意専心してきました。しかし燃料電池は事業化に失敗して平成11年に会社は事業撤退し、電機メーカーに化学屋の身の置き所がなくなりました。幸いにも私のIT技術と開発魂が買われてシステムエンジニアとして部署を異動し、IT新事業を興す「井戸を掘る人」として開発設計を担うことになりました。しかし自分が化学屋であり、燃料電池開発に役立て培ってきた分析化学の専門知識を活かして社会に貢献したいという想いが募りました。当時、土壌汚染が社会的問題として顕在化し始めてもいたこと、および鑑定士の父の仕事の話から、土壌汚染地の再開発に自分の能力が役立てられるのではないかと考え、父の遺志を継いで不動産鑑定士、化学の分かる不動産鑑定士を目指すことにしたのです。

2.全5回の受験
 受験勉強を始めた平成16年当時、遅い日は22時過ぎまで、月に数度は土日まで業務に追われ、何とか土日の休める日と平日早く帰れる日を作って神戸の専門学校のビデオブースに通い、基礎講座を見るのが精一杯でした。年明けから始まった答練は「まず問題を見てから、教科書を読み返して解答できるための記載箇所を探して読んで、教科書閉じて答案を書く」というのが関の山。暗記は容易には進まず、平成17年度の本試験は行政法規が60点を超えてF判定は免れましたが、当然のE判定。最終日のビッグサイトの閑散とした試験場の中、特殊価格の定義を3行書いて筆が止まりましたが、終了の合図を聞くまで会場に座ってました。「この悔しさを忘れまいぞ」と自分に言い聞かせるように最後まで逃げなかったんです。この年の反省は「まず勝負できる水準にまですること」でした。

 平成17年の試験直前に東京の財団法人に出向になり、時間的余裕が持てるようになったので、腰を落ち着けて勉強を始めました。とにかく基準の暗記をしなければと、暗記読本に赤シートを付けて、すらすら言えるまで音読する、マーク隠し部分で引っ掛かったらページの頭からやり直しで読み上げる、をひたすら繰り返しました。赤シートによる暗唱は一回まわすのに1ヶ月も掛かりますが、キーワードを覚えるのに有効だと思いました。棒読み音読は口先で読めてしまうので「覚える」には効果が低いのではないかと思います。
 翌年の平成18年度は新試験初年度で短答式が始まりましたが、鑑定評価はこの暗唱だけで合格点は取れました。この年は経済と鑑定演習が答練や模試で成績上位で名前が出るようになったこともあり、「全受験者の8%程度の合格率なら300人以上合格者が出るから何とか合格できたかも」と思っていました。この年の合格発表は国際会議に出張していた滞在先でインターネットからアクセスして見ましたが、合格者94人は衝撃でした。結果はC判定。この年の反省としては、民法と会計が殆ど点を取れてなかったので、得意の経済で高得点を狙ったんですが、この年の経済は1問が難問で点が稼げませんでした。良く言われるように、やはり不得意を作るとこの試験は駄目だと思います。

 平成18年度の不合格を知ってからは、不得意だった民法と会計にも注力し、毎晩自習室に通って民法と会計の過去問を繰り返し読みました。平成19年度の本試験は短答免除だったこと、答練や模試でそこそこ点が取れていたこと、合格者が増えるのではという噂もあったことから、過信してました。発表を国交省に見に行って、前年同様にたったの10%しか合格させて貰えないことを知り、呆然と日比谷公園を歩いて来た事を覚えています。しかも後から知ったランクは驚愕のD判定。「こんなことをしてたら一生受からない」と本気で思いました。反省点は教科書や過去問を繰り返し読んで答案構成まではしていたものの「実際に書かなかったこと」だと判断し、過去問を「書いて解く」ことをようやく始めました。

 平成19年度の結果発表後から、民法と会計は平成分の過去問を全問、鑑定理論は専門学校が抽出した重要過去問を「書いて解いて」を3回ほど回しました。会計と鑑定理論は徐々に点が稼げるようになり、答練で毎回50~60点の水準を確保できるようになりましたが、民法は全然点が伸びません。いくら答案にいっぱい書いても点が貰えない、本当に腐りました。
 それでも諦めずに、特に試験前の3ヶ月は本当に集中して力を尽くしましたが、残念ながら私の「合格するんだ」という思いは他の合格者に一歩及ばなかったようで、結果はA判定の不合格でした。

 思うにこの試験はA、B判定から如何に勉強を重ねるかが合否を分けるものではないでしょうか。A、B判定の者と合格者とは点数で言えば僅かな差でしかないと思います。しかしこの差は、実は大きな差があるのではないかと、この時に思いました。
 この試験は鑑定理論で点数を取らないと合格できないと言われます。例えですが、鑑定理論は60%までなら普通に勉強すれば取れると思います。しかし合格するにはもう一歩の65%が必要であり、その5%を上げるためには大変な努力がいるのだと思います。その5%を上げることが出来なければ「短答式合格者の上位10%に入れない」と言えるのではないでしょうか。

 平成20年の10月に出向を解かれて神戸の工場に戻り、システムエンジニアとしての業務が再開しました。しかし、もう不退転の決意をしてましたので、職制及び周囲に「鑑定士を受験するから定時後と休日は時間を欲しい」と懇願し、全ての宴会を断り、年賀状まで「今年は正月返上で勉強中につき非礼をしました」と正月明けに一律に詫び状を出すなど、背水の陣を敷いて1年間を過ごしました。
 平成21年度は短答式からの受験だったので、5月の短答試験が終わるまで教養科目に十分な勉強時間が取れず、模試はガタガタでしたが、それでも「勝負は試験当日だ」と言い聞かせて試験までの勉強計画を立ててこれを遂行しました。

3.具体的な受験勉強について
(1)行政法規
 過去問を繰り返し解くことに尽きますが、「どうしてその答えになるのか」を必ず条文で調べました。そのために出題対象の全法律・施行令・施行規則を携帯し、通勤電車内で過去問を解く時にも必ず対象条文の該当箇所を開いて読んで「どこが間違っているのか」を目で見て確認しました。条文は法務省のホームページから最新分を「二枚/頁」で「製本印刷」して、真ん中をホッチキス留めして法律毎の携帯版を自作して使いました。特に建築基準法や都市計画法は毎回必ず条文で確認しましたし、景観法や都市緑地法などは施行規則まで細かく聞かれるので該当部分がどのような条文になっていて、条文のどの部分が間違っているのかを必ず細かくチェックしました。なお、過去の本試験問題の肢には、理解が難しいものも幾つか有りますので、一人で悩まずに専門学校の先生に質問して確認したほうが良いと思います。
 また誰が、いつまでになど、類似法令との引っ掛けで考えられそうな部分は特に注意してマーキングしたり、一覧表を作ったりしました。正誤数問題は一つでも肢の正誤を間違うと駄目なので、慎重に覚える必要があります。結局5月の連休前後は行政法規の勉強に多くの時間を費やしてしまい、論文式の勉強はこの間停滞しました。平成18年度の短答式は90点、平成21年度は自己採点してませんが90点は取れたと思います。行政法規は実務で使う知識なので、そう思って一生懸命覚えました。

(2)鑑定理論
 基準の暗記は往復の通勤電車の車内で、耳栓を着けて小さな声での赤シート音読を一日も休まず繰り返しました。
短答対応の勉強としては問題集等で引っ掛け箇所の確認をしました。本試験では最後の5問の計算問題は30分あれば確実に解けるので、その30分を残すように35問までを90分で解き終わるように注意しました。
 論文対応として「60%から65%に点をかさ上げするため」に過去問の書き取りを徹底的にしました。具体的には昭和40年から平成20年までの全過去問を、昨年の10月から正月明けまでの3ヶ月で、実際に各問題を1時間近くかけてB4用紙2枚相当の論文として書く作業を3回繰り返しました。本気で2枚書いていると、自然と「自分の型」が出来ます。暗記していれば基準のどの辺りを書けばよいかは大体は分かります。しかし実際に書けるほど暗記できているかと言うと怪しいですし、やはり基準の言葉ですから「大体」では印象が悪いのだと思います。だから実際に書いて怪しい部分をしっかり把握して、書けなかった基準の文章を何度も「書いて書いて」を繰り返して手で覚えました。全問を3回の論文書きをして、手で暗記を繰り返したお陰で、ようやく鑑定理論の論文式問題が「スラスラ」書ける様になりました。
 鑑定演習は常道を素直にやりました。すなわちストップウォッチで時間計測しながら集中して最後まで書き上げる、間違いノートをつけて同じ過ちをしないようにする、同じ問題を繰り返し練習して「2時間で書き上げる型」を作る、という基本練習です。今年も10問ほどの厳選問題を合計40回は書きました。一日に2問を書くと吐き気がしてきますので、土日の勉強の最後に各1問、平日夜に2問程度の週4問をメドにこなしました。平成21年度本試験は調整文までたどり着けませんでしたが、収益価格まで自分なりに完璧に書けたと思いますので、70点は取れていると思います。

(3)経済学
 さすがに微分を日常的に使う開発エンジニアでしたから、経済の計算問題は得意でしたし、日経をずっと読んでいたので常識的な守備範囲は広かったので、唯一楽しく勉強できた得意科目です。「中谷巌著 入門マクロ経済学」で経済用語は覚えました。「ヴァリアン著 入門ミクロ経済学」でディズニーランド・パスポートやアイスクリーム売りの話で経済理論を楽しく勉強しました。得意な科目は副読本としてこうした専門書を夜寝る前に読み物として読むと、寝つきが良くなり、勉強にもなるので一石二鳥です。「寝る前に暗記なんかすると眠れなくなるので止めた方が良い、好きな本を読むのが良いよ」というのが睡眠障害クリニックの先生の助言でした。

(4)会計学
 実際に「活きた財務諸表」を勉強するのが良いと思います。平成20年に新法人を立ち上げる仕事をした際に、事業計画を立てて財務諸表に表して出資者説明会を開催するなどしてましたので、各社の財務担当者相手にB/SやP/Lを書き示してました。実会社の財務諸表を書くためには本気で勉強しなければならないし、5年間の事業計画を立てれば連結環としての貸借対照表や株主資本等変動計算書の仕組みが分かります。どこかの会社の財務報告書を例にして自分で仮想の事業計画を立ててみると仕組みが分かるのでお勧めです。私が参考にしたのは「あずさ監査法人編 会社法決算の実務」で、副読本として読み流すのは役に立つと思います。

(5)民法
 今年の試験後に読んだ民法百選の三冊(不動産、物権、債権)はためになりました。もし今年落ちたら民法が原因だろうことはハッキリしてましたから、その反省も込めてこの2ヶ月余りで読みました。専門学校のテキストは判例のエッセンスを書いてますが、百選は一審、原審の経緯が詳細に記載されており、「どうしてその判例でその言葉が出てきたのか」が百選を読んでようやく理解できました。この三冊は寝る前の副読本として読み流すのは有用だと思います。

4.さいごに
 家庭の事情で「会社を辞めて専念」という選択肢はありませんでした。この1年はエンジニアとしてプロジェクトを任された中で、定時後と休日と出張の移動時間等で合計で10月から本試験まで1400時間の勉強時間を確保し、論文書き練習は1問1時間で計算して、「いつまでに何をやる」のスケジュールを立てて、これを遂行してきました。
短答式から受験しなければならなかったこの1年間は本当に辛かったです。今年は「絶対に落ちる訳には行かない」という思いがプレッシャーになり、一時は過呼吸症候群に苛まされたこともありましたが、何とか乗り切ってきました。
 鑑定士は生涯現役で社会貢献して行きたいと思って受験を決意したので、健康管理にも努めてきました。平成16年には92kgあった体重を自己節制して、今は70kgまで落としました。毎日の通勤を工夫して1万5千歩を歩くように心がけ、朝晩の腹筋と腕立て伏せを続けています。「書いて書いて」の試験なので、受験のためには体力も必要ですから腕立て伏せで腕肩を鍛えるのは大切だと思います。
 まだ現職のプロジェクトを抱えているので年明けまで退職できず、実務修習は2年コースしか選べませんでしたが、良い指導鑑定士の先生に恵まれて何とか鑑定士への一歩を始められるようになったと思います。
 試験合格ではまだ人生の再スタート台に立っただけでこれからが修練の道程だと思いますが、これまでもこれからも自分の持ち時間を最大限に有効利用して、一日も早く鑑定士として社会貢献できるようになっていきたいと考えています。そしてできれば化学屋とIT技術屋の知識を活かさせることが出来れば幸いです。
(平成21年11月記)

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